特定非営利活動法人著作権協会 様

  • 私の知る限りでは考えられない安価で、他の印刷屋さんの価格の十分の一です。

    特定非営利活動法人著作権協会 理事長

    富樫 康明 様

あと、何年生きることが出来るのでしょう・・。

あと、どのくらいあなたと接する事ができるのでしょう・・。

私は九十三歳になった父に人生の記録をまとめることをお願いしました。 父は、樺太開拓団の祖父を持ち、大正八年に樺太で生まれ育ち、十歳で父を亡くし、年老いた祖母と母、病気の兄、幼い妹のために働くことになりました。 しかし、開拓のための膨大な借金があり、何万坪もあった開拓地を手放し、生活のために父は丁稚奉公をします。しかし、奉公先で給料がもらえず樺太の川上炭鉱で働く事になりました。 十代半ばで四人の家族を背負い、ようやく家族全員が暮らせるようになった時に太平洋戦争が始まりました。同時に、樺太から満州に満州開拓団として移住しました。しかし、戦争は激しくなり、父は家族を本国に戻し、自ら兵隊に志願して航空隊に所属します。祖父は樺太で亡くなり、戦争中に母は満州で死にました。緊迫した日本軍に対して、父は前線に志願しましたが、上官より日本に残るように説得され残ることになりました。父は航空隊の整備士をしており、次々と特攻する若者たちを見ていたため、耐えられなくて志願したのです。しかし、その時の部隊は玉砕全滅してしまいました。戦後は目標を失い離ればなれとなった家族探しと兄弟と再会することになりました・・。

これらの事実を何とかして記録に残したい・・。 それが父の人生の九十四年間記録でした。 九十歳から、慣れない手つきで覚えたパソコンで、最初は数日かけて一頁を仕上げるといったペースでしたが、九十二歳から脳梗塞、転倒による脳挫傷を繰り返し、パソコンも打てず、文字も書けなくなりました。そこで口述筆記に切り替えたのですが、会話も思うように出来なってしまいました・・。 私は何とか平成二十五年十二月十日の九十四歳の誕生日までに完成させようと考えていました・・。思うようにならない父も本に残したいという執念が残されていました。私は父の介護と本作りに四年間全力を傾けました。 しかし、同時に、本を出版するためには印刷代が大きな壁となりました。それは、どこの印刷屋さんに相談に行っても約五十万円から八十万円以上かかるという見積もりです。自費出版などは百万円を超えるところも多く、費用を考えたら現実は本を出すのは不可能に近く、私は深く落ち込みました・・。 しかし、父の残された時間はあとわずかでした・・。 入退院を繰り返す父はどんどんと衰弱していきます。意識がない時もありますが、私が声をかけると掠れた声で語ろうとします。私は涙を流しながらその言葉をメモします。もしかすると、本が完成してしまったら、安心してこの世から去って逝くかもしれないという一抹の不安を抱えながら、このまま本にならなければ、もっと生き続けてもらえるのではないか・・。そう思えました。 もう、何十社出向いたのでしょうか・・。 相変わらず、印刷屋さんが見つからないまま原稿を続投し続けました・・。原稿は三百頁を超える量となりました。 私は目的もなく、ホームページを開き、様々な印刷所を検索しました。しかし、実際に本を出すには編集の力、印刷の知識、文のまとめ方が出来なければネット上での発注など出来ません。ましてやパソコンに不慣れな私にはどのホームページを見ても頭が痛くなるほどの困難でした・・。 また、電話で問い合わせしても費用面では不可能でした・・。

その時、ホームページを検索していたら〈ひまわり印刷〉という言葉が見つかりました・・。横文字の目立つ業界の中で、とてもレトロで懐かしい、とても地味な会社名です。私の父はひまわりが好きでした・・・。 そして、ホームページに記載されていた料金表を見て驚きました・・。 それは、私の知る限りでは考えられない安価で、他の印刷屋さんの価格の十分の一です。思わず目を疑いました・・。 ただ、このひまわり印刷さん以外にも近い価格の会社もあるようですが、内容が明快(わかりやすい)でした。私は実際に本当かどうか疑いを持ちながら、出向いて見ようと思いました・・。ひまわり印刷さんのホームページには、「場所がわからなければ駅までお出迎えします・・」などと表示しており、なぜか安心感を覚えました。 平成二十五年の夏、父の事を考えつつ、初めてひまわり印刷さんに出向いたのです。初めてなのに、素人の私に親切に丁寧に対応してくれた、楠さんとの初めての出会いでした。 何といっても、編集者も校正する人もいない、初めての自主出版です。 でも、すべてホームページ通りの内容で安心しました。これで父の願いが果たせるような気がしました。発行日は平成二十五年十二月十日の九十四歳になる父の誕生日です。楠さんに励まされ、それから最終準備にかかりました。そして、十二月十日に本を間に合わせてもらい、父の誕生会を家族全員が集まり行う事ができました。 しかし、その本の完成品を手にすることが出来ましたが、開く力は残されていませんでした・・。十二月二十六日に意識を失い、平成二十六年一月五日に父はこの世を去りました・・。 ひまわり印刷さんで作ってもらった本のタイトルは〈もうひとつの樺太物語「望郷」〉です。それは、生まれた場所、育った場所、戻れない場所、故郷が無くなってしまった父の人生の記録でした。

人は九十五歳も生きたのだから、往生した・・。そのように言いますが、私は六十年間父に支えられて生きてきました。また、四十年以上も父と共に一緒に仕事をしてきた関係上、あまりにも長く、あまりにも深く、心に現在も穴が開きっぱなしです。もしかすると立ち直れないかもしれません・・。

ひまわり印刷さんに出向いて、ある懐かしさを感じました。それは、楠さんのお父様とお母様、そして奥さまでした。その家族の姿は、私のあの頃と同じ、家族が互いが支え合っている会社でした。父も私も時代が変わっても家族は一緒、いつまでも一緒に仕事が出来るという幸せを味わってきました。戦争中、父や母、兄弟が別れ別れになった悲しみが、父の代で初めてひとつの家族になりました・・。

その後、私は父と入れ替えに娘と仕事をするようになりました・・。 娘は二十四歳、私は六十歳、私が二十四歳の時、父は六十歳でした。運命とは不思議なもので、今度は私が父と同じように我が子に接して生きて行くようです。 その後、ご無理なお願いばかりでしたが、ひまわり印刷さんから平成二十五年に「望郷別冊版」「繭の言葉」「八王子八百年」の三冊。平成二十六年「いちょう祭り記念誌」「負けないこころ」「父からの手紙」「あいことば」の四冊を発行しました。続いて、平成二十七年「繭の言葉」再販、「ひとりこだま」「ドリーム(仮題)」、その他を準備中です。

私がひまわり印刷さんと出合って感じた事は、パソコン技術に関して素人同様の私に親切にしてくれた事です。もちろん費用は安く、安心してお願いが出来るからです。仕上がりも良く、納期も短く、何よりも〈自主出版〉する者にとっては、本が人生で一冊ではなく、一人の者が何冊、何十冊と発行できるという夢や希望を与えてくれた事です。 今までの自費出版なるもののほとんどが高額なため、本を出したくとも一生に一冊だけか、お金持ちの人だけにしか本を作れないと思っていたからです。ですから、私は〈自費出版〉なる言葉が嫌いなため、〈自主出版〉という言葉にしてみました。 ひまわり印刷さんとの出会いによってこの〈自主出版〉を多くの人たちに教えたい、伝えたい、本の素晴らしさを知らせたい。そう真剣に考えるようになりました。

ひまわり印刷の楠さん、奥さん、お父さん、お母さん、本当にありがとうございます。心から、心から感謝しています。みなさん、ひまわり印刷さんを支えて下さい。





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